みすとのブログ

日々思ったことを書く予定。

遊戯王がカードゲームで一番自由度が高いと思う理由

デッキ枚数の制約が緩い

まずメインデッキ枚数が40~60枚とぴったり固定でないのが良い。同名カードは3枚までと禁止や制限カードはもちろんあるがそれくらいである。

テーマ外でも同じデッキに入れることができる

カードゲームは種族ごとにカード分けされている場合が多く、ゲームによってはルール上入れられないこともある。しかし遊戯王はうまくデッキが回らなくなることがあるだけでルールとしては入れることができる。ここは初心者からするとやりやすいと思う。

せっかく好みのカードが出ても自分の使っているテーマではないから入れることが出来ないのは悲しいと思う。遊戯王なら無理やりでも一応入れることはできる。

カード内容による不戦勝が存在しない

他のカードゲームはたねなんとかやグレード0など、始める前に用意しないとそもそもゲームとして成立しないものがある。しかし遊戯王はモンスターが出せなくてもゲームが始まる。モンスターを出せないのはデッキ自体の不備でありルール上なんの問題もない。

相手のデッキ状態に依存されないのも遊戯王のルールとして良いところだと思う。

効果が文章で書かれている

ここは人によって賛否あると思うが、遊戯王は効果内容を全て文章として書き記されている。良い点は久しぶりに遊戯王を復帰しても効果をみれば内容を理解できること。他のカードゲームは専門用語化していて、そもそもそれが何かわからないケースも多々あったりする。遊戯王は内容自体は読めば理解できるようになっている。

悪い点はその効果文章が長すぎる点。25周年を迎えた今の遊戯王はノーマルカードでも6行びっしり文字で埋められている。これをデッキ40枚とEXデッキ15枚計55枚の効果を頭に入れないといけない。ここが敷居が高くなっている要因でもあると思う。

 

・最後に

遊戯王は確かに難解になっており新規が入りにくい状態ではあると思う。しかし25年経った今現在でも多くの売上を出しサービスが続いているのは、既存のユーザーが面白いと思っているからなのは間違いない。複雑なゲームに見えるが、それは他のカードゲームよりも制約が緩くデッキ構築の自由度が高いからこそだと思う。

自由度と複雑さは表裏一体なのかもしれない

 

基本無料ゲームについて

ソシャゲのような基本無料ゲームは現時点でサービス終了したらもう二度と遊べないのは致命的な問題だと思う。どんなゲームにも少なからず最後まで遊んでいたユーザーがいるわけで、その人達があまりにも可愛そうだと思う。

自分がとてもそのゲームが大好きで課金していても、周りも遊んでいないとサービスが終わってしまうこのシステムはどうにかならないのかと思う。家庭用に移植などの処置を施して欲しい気持ちはある。

ソシャゲに何百万かそれ以上課金したゲームが終わる恐ろしさは多分本人にしか分からない。そう思うと始めから基本無料ゲームには手を出さないでおこうと思ってしまう。

パズドラやモンストなどの有名ゲームはほぼ終わらないと確信してるから安心して課金できそうだし、その循環でさらに格差が開いてるように思う。

ソシャゲが売れるためにはまず売れないといけないという意味不明な理論になっているこの現状はずっと変わらないのだろうか。

AIがもたらす変化

・雇用主側の強気な態度

能力は高いが個性的でトラブルを生むような人は雇用主からしたら厄介で、そこまでしてこの人雇うくらいならAIでいいよね。となる可能性がある。

AIによってなくなる仕事は職種などは予想されているが、雇用形態の考え方も大きく変わるのかもしれない。

無敵の人

失うものがない人間というのは強い。

強いというより守るものがないから使える手札が多い。家庭を持つ人は配偶者や子供の事を考えて仕事を辛くても続けないといけないが、独身ならその心配もいらない。

これからの時代、自分以外の人を守っていくのは本当に大変なことだと思う。国はそういう人たちに支援を送るのが得策だと思うが、そんな事するわけ無いよなあと我に返る。

何もない人間が住みやすくて生きやすい国になりつつあることにもう未来はないのかもしれない。

「夏はポケモン」が今年は無い件について

自分が子供の頃、夏休み入る少し前に毎年映画が公開されていて毎回楽しみにしていた記憶がある。だけどポケモン映画は元々低迷していて右肩下がりだった。そして2020年のコロナの時に公開された「ココ」が歴代最低の興行収入で大打撃らしく、それ以降新作映画が公開されてはいない。

 

ポケモンというコンテンツはゲームもカードなどめちゃくちゃ売れていて、25年以上経った今でも、第一線で売れ続けているのは本当に凄いことだと思う。しかしアニメや映画など映像関連はなぜかポケモンを使ってる割に、、という印象がある。他分野が凄いだけに余計目立ってる感じがする。

 

反対に「名探偵コナン」が大躍進で興行収入を伸ばしている。元々右肩上がりだったコナンが今年の映画でついに100億の大台を突破した。特典をつけずに100億行ったコナンと特典配布しまくって右肩下がりのポケモン映画。どこで差がついてしまったのか、、、

 

大学入試について

コミュニケーション能力。これが高い人は人気者になりやすく羨ましがる人は多い。だがみんなコミュニケーション能力ばかりを重視しすぎて肝心の実力が置き去りになっていると私は思う。取り繕う能力も確かに大切だが、一番は結果、学生で言ったらテストの点数だと思う。

昨今の大学入学者のうち約半数は推薦制度らしいが本当にそれでいいのだろうか。推薦も3年間勉強や部活を頑張ってるという意見があるが、仲間と同じクラスで受ける緊張感0の定期テストに果たして意味はあるのか?

一般入試は基本一発勝負で国立となると全科目勉強しないといけない。共通テストは朝9時から6時までを2日間行うし、もちろん周りは全員知らない人。そんな中で高得点を取らないといけない一般が推薦と同列としてみなしていいのだろうか?

 

初耳学と言う番組で成田悠輔さんが出てたときに言ってたのは

一般入試制度は「公平」なシステムらしい

 

一般入試は事情で学校に出れてなかったり、態度が悪くて評価が低くても本番の試験が高ければあとは何でもいいという実は一番平等で多様な人間を受け入れられる入学方式と言っていて凄い視点だなあと思った。

推薦で行く人は性格が良くて品行方正、行事も真面目に行い言うことをちゃんと聞く。そんな人間を金太郎飴のように大量生産してなんだか不気味な面も確かにある。

 

 

上っ面の媚びる能力が高い人を取るのも確かにいいが、自分の立場が脅かされるような優秀な人間が出てくることが望ましいと思えるような社会でもあって欲しい